新之介の中之島凹凸地形散歩 | 第3回『東京は「谷の町」、大阪は「州(しま)の町」』

新之介の中之島凹凸地形散歩
 東京は谷が付く地名が多い。渋谷、四谷、日比谷、千駄ヶ谷、市ヶ谷、鶯谷、世田谷など、大阪人の私が思いつくだけでもこれくらい出てくるのだから、ちゃんと調べればかなりの数になるかもしれない。地形図を見ると、東京の地形は武蔵野台地と低地に大きく分かれ、台地の上は比較的平らで谷が数多くある。谷をよく見ると、さらに細かく樹枝状に地形が刻まれているのがわかるだろう。この独特の地形は、関東ローム層という火山灰が厚く堆積した地質が要因のひとつで、風雨による浸食の影響でこのような複雑な地形になったと考えられている。東京はまさに「谷の町」と言えるだろう。東京の町を歩くと起伏が大きいと感じることがあるが、徳川家康の時代は開拓が難しく、人が住むには厳しい土地だったことが想像できる。

 それに比べて大阪の地形はかなり平坦だ。大阪市内の地名を調べると、最も多い漢字は「島」である。中之島、堂島、福島、都島、桜島、四貫島、酉島、歌島、御幣島、加島など上げだすとキリがない。それと同じくらい多いのが「田」だ。梅田、芝田、野田、角田町、寺田町、田川、大和田など。さらに、「川」「堀」「橋」「浜」「津」など水辺に関わる地名が多いのも特徴であろう。古代には「難波八十島(なにわやそじま)」と呼ばれたように、旧淀川河口域には数多くの中州が点在していた。それらの中州には葦が生い茂り、大雨が降ると陸地がなくなってしまうような、人がまだ住めない島もたくさんあっただろう。難波津(なにわづ)では、天皇が即位した翌年に八十島祭が執り行われたという記録が残っている。遠浅の海岸線に島々ができていく様子は、国生み神話とも重なり、遙か先には淡路島も見え、天皇の即位に関わる儀式を執り行うには良い場所だったのかもしれない。
現在、上町台地西側に広がる低地には、梅田や難波など大阪の主要な町が広がっている。その広大な低地の大部分は、旧淀川と旧大和川が運んできた土砂によって陸地化が進んでいった。東京が「谷の町」なら、大阪は「州(しま)の町」といえるかもしれない。その中でも大阪の中心部に位置する中之島は、「州の町」を象徴する土地なのである。

「谷」がつく地名をプロットした東京の地形図-武蔵野台地に、谷が樹枝状に広がっている様子がよくわかる。東京の町は谷地形により独特の景観を作り出しており、谷を意識して町を歩くと面白い。

「谷」がつく地名をプロットした東京の地形図
武蔵野台地に、谷が樹枝状に広がっている様子がよくわかる。東京の町は谷地形により独特の景観を作り出しており、谷を意識して町を歩くと面白い。
「島」がつく地名をプロットした大阪の地形図-上町台地西側の低地には「島」が付く地名が集中している。大阪都心部の主要な町は、旧淀川と旧大和川などが運んでくる土砂によって陸地化していったのだ。

「島」がつく地名をプロットした大阪の地形図
上町台地西側の低地には「島」が付く地名が集中している。大阪都心部の主要な町は、旧淀川と旧大和川などが運んでくる土砂によって陸地化していったのだ。
※地形図はカシミール3Dで作成しており、東京と大阪の地形図は同比率にしている。
淀川河口域の景観。多くの砂州(島)が生まれた場所だが、明治時代の淀川改良工事で大きく景観が変わっている。

淀川河口域の景観。多くの砂州(島)が生まれた場所だが、明治時代の淀川改良工事で大きく景観が変わっている。
新之介プロフィール


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大阪高低差学会代表 新之介

大阪市淀川区生まれ。2007年からブログ「十三のいま昔を歩こう」を運営し、大阪の歴史や町並みの記録、地形に着目したフィールドワークを続けている。

2013年に大阪高低差学会を設立。NHK「ブラタモリ」の『大阪』『大坂城』の案内人。

著書に『大阪「高低差」地形散歩』『大阪「高低差」地形散歩 広域編』(洋泉社)。

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