各時代の中之島 | 昭和の中之島

安全で、楽しい「歩くまち・中之島」

江戸時代の中之島

文化・情報施設は島全体に分布し、「中之島の空気」をつくっている。
昭和に入り、御堂筋の完成(15年)と地下鉄の開通(12年)により、梅田-難波・天王寺は、ますます緊密に繋がり、交通量は増大した。中之島は、その流れと交差するかたちとなる。人々は、ここで東西に滞留し、夜の散策や文化的イベントを楽しんだ。
キタやミナミとは異なり、若い男女や子供、主婦などが、暗くなってからも安心して歩くことができる。公園、公会堂、学校、各種のクラブ、そして近代的なビジネス街というように、歩きながら街の光景の移り変わりを楽しめる。ここに「歩いて楽しい中之島」の原型が生まれた。

 

昭和の中之島
昭和の中之島

 

昭和の中之島夜の公園散歩(*3)
昭和の中之島公園でお弁当をたべるオフィス・レディたち。(*4)
昭和の中之島絵を描く女性。(*5)
ゲタ履き姿に時代を感じる。


人を魅了する都市の情緒

第9回帝展特選となった池田遥邨の名作「雪の大阪」(*6) には、大阪ホテルあたりから眺めた中之島公園の雪景色が描かれている。下の船は大阪・伏見間を運行していた外輪船。茶色いビルは大林組(現在の辻調理師専門学校)。

昭和の中之島
 

明治時代の中之島
2人連れは難波橋を渡っている。
明治時代の中之島

 


出典

※1 「中之島誌」
※2  同 上
※3 「1958 大近畿名鑑地図」 毎日新聞社
※4  同 上
※5  同 上
※6 「大阪人」 2001.4 財)大阪都市協会

中之島の歴史_江戸時代
中之島歴史_明治時代
中之島の歴史_大正時代
中之島の歴史_昭和