各時代の中之島 | 大正の中之島

大正11年の大阪のパノラマ図(*1)。高層建築は少ない。全域に低層建築が周密に広がる。
そのなかで、中之島に集積する大規模な洋風建築は異彩を放っている。
江戸時代の中之島

◆大阪市庁舎

ネオ・ルネサンス様式の総石づくりの洋館。大阪市庁舎
は大正10年に落成。中央に高塔をそびえたたせた勇姿は、「大・大阪時代」を迎える市の象徴とされた。

江戸時代の中之島
大阪市庁舎 (*3)
江戸時代の中之島
昼の難波橋周辺(*4)
江戸時代の中之島
大正天皇の即位を祝う難波橋の夜景(*5)。
当時の技術の粋を凝らした電飾は電燈会社の作品。奉祝塔の周辺には市民や観光客がひきもきらず、中之島には時ならぬ新名所が出現した。
◆中央公会堂

一世の株式仲買人・岩本栄之介は、大阪に大きな公会堂がないことを痛感し、100万円で公会をの建設し寄付することを市に申し出た。岩本は、その完成をまたずに株の失敗から自らの命を絶つ。大正7年公会堂、開場。政党演説会を始め大正デモクラシー時代のさまざまな催しが開催された。ロシア歌劇団による「アイーダ」公演を始めとして、三浦環、クライスラーやハイフェッツのバイオリン演奏、世紀のバス歌手シャリアピンの独唱など、数多くの文化行事が催されている。

江戸時代の中之島
(中央公会堂*6)
江戸時代の中之島
公会堂内部(*7)
◆鴻池銀行中之島支店
明治33年鴻池銀行中之島出張所を中之島3丁目に設け、一般銀行業務を開始。同年、個人経営会社を合名会社鴻池銀行と変更。大正8年、株式会社鴻池銀行中之島支店と改称。
大正9年、福島へ移転。

◆日本興業銀行大阪支店
大正3年に中之島3丁目にて業務開始。特殊銀行として綿紡績業、機械機器工業、電力、ガス、毛織物業等への融資に重点を置き、大阪産業の発展に寄与した。

◆日本電力株式会社
宇治川電気、大阪商船などの諸会社の関係者が創設委員となり大正8年に創立された。
もともと曾根崎にあったが、大正14年の大阪ビルディング竣工にともない中之島に移転。

◆宇治川電気株式会社
明治39年、京都で設立。大正8年に本社を大阪市に移転。
大正14年、大阪ビルディング竣工とともに中之島に移転。

江戸時代の中之島 堂島 立ち合い
肥後橋から見た朝日新聞社(*8)

◆朝日新聞社
大正 15 年、新聞社本来の使命である社会教化事業に尽くすために朝日会館が建てられた。朝日ビル」は、のちにこれを改称したものである。

◆日刊工業新聞社
大正4年の創刊。同12年に中之島へ移転した。日刊工業新聞のほか、Industrial Nipponの刊行。
また、付帯事業として常設の工業陳列館も経営していたと言われる。

◆大阪商船株式会社
明治17年、所有船舶93隻で創業。大正時代には欧州、南米方面の遠洋航路を開く。
大正14年、本社を宗是町大阪ビル内へ移転。所有船舶115隻を有する大会社に発展した。

◆東神倉庫株式会社中之島支店
大正7年、中之島3丁目にて鴻池家の経営する大阪倉庫を買収して設置。
玉江町2丁目の西倉庫とともに営業。本社の設立は明治40年。

 


出典

※1 「大阪市史6巻」 大阪市
※2 「写真集なにわ集今昔」 毎日新聞社
※3 「大阪市史6巻」 大阪市
※4 「写真集なにわ今昔」 毎日新聞社
※5  同 上
※6 「百年の大阪」 読売新聞社
※7 「大阪市史6巻」 大阪市
※8 「写真集なにわ今昔」 毎日新聞社

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