
| ここが坐摩神社行宮。当時は熊野へ向かう人々でにぎわっていたことでしょう。 |

| 熊野かいどう碑がある道。この道をずっと南下すると熊野へ辿り着きます。 |
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森の石松の「鮨食いねえ」と掛け合う場面や、「東海道中膝栗毛」で弥次さん喜多さんのふたりもこの三十石船を利用する場面がでてくるらしいです。
ちなみに、この「八軒家」という地名は、昔ここに八軒の船宿があった、または川に沿って八軒の民家があったことからきたとの説があるようです。
その昆布屋さんを少し西へ行ったところに、なんとなく風情を感じる石段が見えます。これも初めはその程度にしか思っていませんでしたが、どうやら当時はこの石段を使って船着場から通りへ上がっていたようです。ということは、このあたりまでは川岸だったんでしょうか?
実際には、船着場は今の天満橋駅の裏側あたりだったとのことなので、あくまでも想像ですが、水位や地形など、今とはずいぶん違ったのかもしれませんね。
話は逸れますが、幕末の新撰組が常宿として利用していた「京屋」もこの石段を上ったところにあったそうです。
そしてさらに西に向かい、エルおおさか手前の道を左に入ったところに坐摩神社行宮(窪津王子跡)があります。
行宮とはお旅所のことらしく、ここには熊野の神々が祀られた九十九王子の第一、窪津王子で、人々はここを休憩所として利用していたようです。
ここから次へ、また次へとおよそ百箇所ある王子を道しるべとして人々は熊野への旅を進めていったのです。
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