中之島今昔寫眞集

<堂島ビルディングと大江橋>
右手より「堂島ビルディング」、その前にあるのは「大江橋」。

「堂島ビルディング」
 竣⼯は1923(⼤正12)年7⽉。当時の近代建築の枠を集めたビルといわれた。2度の大改修を経て外観は大きく変わっているが、現役のオフィスビルとして健在。

「大江橋」
歴史的には江戸時代の元禄年間、堂島の開発に伴って架けられた。1909(明治42)年7月に大阪市北区の一帯を襲った“北の大火”で焼失。翌1910 (明治43)年に復興と市電の開通に伴い、鉄橋として架け替えられた。

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写真:川合雄大 氏
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撮影時期:大正後期頃
写真:大阪府立中之島図書館所蔵

<堂島川ダム>
本来は河川浄化を目的に1929(昭和4)年『堂島川可動堰』として、堂島川の水質改善に大きく貢献。1982(昭和57)年に橋面を改装、法律面でも橋としての手続きがとられ、名実ともに橋となったのが、現在の「水晶橋」。
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写真:片山 影一 氏
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撮影時期:昭和初期頃
写真:大阪市立図書館所蔵

<難波橋より>
右側の古写真は、難波橋南詰付近から土佐堀川を西へ見たもの。右側にテニスコートがあり、大阪市中央公会堂、大阪府立中之島図書館(当時大阪図書館)、大阪市庁舎がならぶ。橋は手前から栴檀木橋、淀屋橋。
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写真:下重 孝 氏
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撮影時期:大正後期頃
写真:大阪府立中之島図書館所蔵
<難波橋付近>
現在の大阪取引所から北西を見たもの。右側の古写真にある「健脳丸」の広告のうしろに見えるのは「大阪ホテル」。ライオンの石像が位置する場所や区画は当時と変わらないが、高層ビルが立ち並び情景はすっかり様変わりしたように思われる。
中之島:現在
中之島:明治後期頃
撮影時期:明治後期頃
写真:大阪府立中之島図書館所蔵