【中之島散策~中之島人を訪ねて】
美術との出会いが生活全般と結びつき、人生を豊かにする。
大阪中之島美術館 館長 菅谷富夫さん

美術との出会いが生活全般と結びつき、人生を豊かにする。
堂島川にかかる田簑橋の南詰、目を引く大きな黒い建物こそ、2022年2月2日にオープンした大阪中之島美術館。そのスタートは1983年、佐伯祐三コレクターとして知られる山本發次郎氏のコレクションを、遺族が大阪市に寄贈したことに始まります。
その後、1990年に「近代美術館建設準備室」が設立され、モディリアーニの作品の購入で話題を集めたり、一方で美術館の建設自体が進まなかったりと紆余曲折を経て、ようやく「大阪中之島美術館」となって私たちの前に姿を現しました。その陣頭指揮を執る菅谷富夫館長に、お話を伺ってきました。
(トップの外観写真および★マークは、大阪中之島美術館提供)
 穏やかな表情で、美術館の魅力を語られる館長の菅谷富夫さん。

穏やかな表情で、美術館の魅力を語られる館長の菅谷富夫さん。
準備室時代から、30年にわたってこの美術館に携わってこられた。

基本方針に従い、どう実施していくかを考えるのが館長の仕事。


      -菅谷館長は2017年から、この美術館の準備室長をされていますが、その経緯などをお教えください。

「私が準備室に来たのは1992年からですから、ちょうど30年前ですね。学芸員の公募があり、試験を受けて入りました」

      -菅谷館長が来られた時には、おおよその構想はできていたのですか?

「基本構想はできていました。当時、外部有識者の先生方が集まって委員会も作られていました。基本的に私は大阪市の公務員でしたので、委員会や市が決めた方針をどう実施するかを考える立場だったのです」

      -館長がご自身の方針で、美術品を集めたりできるのかと思っていました!

「いえいえ、よく人から『いいお仕事ですね、好きなものを集められて』って(笑)。でもそんな時は『好きなものを集められるなら、もっと違うものを集めているよ』って答えます。そんなことは、公務員ではやっちゃいけない(笑)。
美術品の購入については、収集審査委員会や評価委員会というものがあって、どういうものを集めていくかが決められているのです」

      -確かに、大阪市の施設ですから、館長個人の考えだけでできることではないですね。

「正確にいうと、私たち学芸員が情報を集めて、これがいいであろうというものを委員会に提出し、そこに外部の先生の協力をいただいて『これは方針に合っている、これは方針に合っていない』という判断をしていただいています」

館長こだわりの階段に見る、来場者へのきめ細やかな配慮。

      -ところでこの美術館は、とてもユニークな外観ですね。

「建築はコンペで決まりました。ちなみに家具やVI(Visual Identity)、ロゴタイプもコンペでした。大阪市の施設なので、建築については大阪市都市整備局の仕切りです。ただ、この案が選ばれた際、建築家には、『学芸員の使い勝手などの希望は、聞いて欲しい』とお願いはしました」

このベンチやいすは、「中之島」の頭文字「N」を模したもの。
このベンチやいすは、「中之島」の頭文字「N」を模したもの。

家具類もコンペで採用が決められた。このベンチやいすは、「中之島」の頭文字「N」を模したもの。

      -館長や学芸員さんの要望で、変更になったものはありますか?

「世の中では、コンペで出された案が実際の建物になった時、違うものになることも多いと聞きます。でも、ここは比較的、最初の案のまま作られています。
建築家にも、『アーティスト』としての想いがあります。私は学芸員として、アーティストの立場を尊重したいと思っています。ただ使い勝手も重要ですので、建築家や関係者とは、たくさん議論しました」

      -その議論の中で、館長が特に印象に残っている箇所は?

「5階展示室から4階に下りてくる階段です。当初はL字型の階段でしたが、少し急な感じがしたのです」

      -階段ですか!?

「たとえば、お客さまが5階で1時間ほど展覧会をご覧になったとします。すると足もそれなりに疲れているでしょうし、作品に思いを馳せながら歩く方もいらっしゃるでしょう。そのあとの階段が急だと、ちょっと申し訳ないなという気がしたのです。第一、危ないでしょう。そこで、もう少しステップの幅を広げて欲しいとお願いしました。そうしたらL字型では距離が足らなくなって、Uターンするように設計を変更してもらいました」

      -なるほど! 確かに作品を堪能した後に「足元注意」というのも興ざめですね。

「展覧会を見て高揚した気持ちを、そのままお持ち帰りいただく。その気持ちを大切にしたいのです。建築家の方も、我々のそんな気持ちを受け入れてくださって、いろいろご提案していただいた結果、あのような形になりました」


来場者の気持ちを最優先に考える菅谷館長や学芸員さんたちの想いは、大阪中之島美術館の隅々まで行き届いています。

  菅谷館長こだわりの階段。

菅谷館長こだわりの階段。当初は写真左方向にL字型に設計されていたが、館長の要望によりステップ幅を広げたため、U字に折り返す形に設計変更された。★

オープン以降、大阪中之島美術館らしさが表現できる展覧会が続く。

      -さて昨年(2022年)2月2日のオープンですが、日付が「2並び」は何か意味が?

「2021年度中のオープンが、大阪市の公約でした。そうはいっても3月31日のオープンでは、話にならない。ひとつの展覧会の会期が、最低2カ月、できれば3カ月ぐらいは欲しかったのですが…。
最終的に2月上旬なら何とかオープンできる、ということになって『2並び』で2月2日に決めたわけです」

      -私でもすぐに覚えられましたから、「2並び」の効果はあったと思います。

「覚えやすいし、開館記念日としても通りがいいし、みなさんへの周知、浸透度からも、この日に決定してよかったと思います」

      -オープニング展は「Hello! Super Collection 超コレクション展 -99のものがたり-」でしたが、このテーマを選ばれた理由は何でしょう。

「オープニングは、大阪中之島美術館が保有するコレクションの展覧会でやろうということは決めていました。美術館はコレクションの構成が活動に反映しますから、最初にそれをきちんとご覧いただかなくてはいけないと思いました」

      -開館後は、あのモディリアーニ、続いて岡本太郎と注目の展覧会が続きました。

「モディリアーニは、当館のコレクションに代表的な作品が入っています。そのため開館後、早い時期に開催する必要があると考えていました。購入時はいろいろと話題になりましたが、今となっては収集しておいてよかったと思います。『原点』ではないですが、当館のイメージを作った作品だと思います。そして来年には、やはり佐伯祐三を考えています。
今やっている『具体』※もそうです。大阪中之島美術館にとって、『具体』というのは重要なコレクションでもありますし、『具体』の拠点が中之島3丁目にあったものですから。当館としてしっかりと尊重しなければならないですし、みなさんも期待されるところだと思います」

1954年、芦屋で結成された美術家集団「具体美術協会(具体)」のこと。取材時(2022年11月)、「具体」の歩みを分化と統合という視点から捉えた『すべて未知の世界へ - GUTAI 分化と統合』展(会期:2022年10月22日~2023年1月9日)を、隣にある国立国際美術館と共同で開催していた。

  取材当時、5階展示室で開催されていた「すべて未知の世界へ - GUTAI 分化と統合」展。

取材当時、5階展示室で開催されていた「すべて未知の世界へ - GUTAI 分化と統合」展。「具体」の拠点とされる中之島にある2つの美術館(大阪中之島美術館と国立国際美術館)で、共同企画されたもの。

用を足すのも憚られる(?)5階トイレ。

トイレ入口では、その時の制作の様子が映像で見られるようになっている。

用を足すのも憚られる(?)5階トイレ。これは「GUTAI」展の一環として展示されていた、元具体美術協会員の向井修二さんの「記号化されたトイレ」というインスタレーション。トイレ入口では、その時の制作の様子が映像で見られるようになっていた。(現在いずれも見ることができません)

      -「展覧会 岡本太郎」は、大人気でしたね。

「この展覧会を決めたのは、3年くらい前になります。展覧会って3年、5年先のことを考えて決めていきます。当時は大阪・関西万博も決まっていたし、やはり大阪で万博というと太陽の塔の岡本太郎ですよね」

      -コロナの影響もあり予約制になって、入場制限されていました。

「最後の日は、『並んでいただいても、ちょっと難しいですよ』と言うほどになって…。せっかく来てくださったのにお帰りいただいて、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。終わったその日のうちにホームページに、『ありがとうございました。そして申し訳ありませんでした』というメッセージを載せました。やはり館としてお詫びしないと、と思った次第です」

「美術館に来た」という記憶を鮮明に残させる、スペクタクルな内部空間。

      -美術館に入って真っ先に目についたのは、1階から5階を貫く広い吹き抜けと、2階から4階に架かる長いエスカレーターでした。乗っていると空間の景色がどんどん変わっていって、その景色を見るだけでも価値があると思いました。

「上りなら1分半ほどかかります。きっと建築家は、どんどん変わっていくあの景色を見せたかったのでしょう。
一般的には、上りのエスカレーターと下りのエスカレーターが横に並ぶことが多いですが、ここは方向を交差させるように置いています。つまりお互いが景色のジャマにならず、しかも上がる時と、下がる時、違う景色を見せるわけです。この空間の感じ方のようなものこそ、この建築の見せ場だと思いますね」

 1階から5階までを貫く広い吹き抜け。

入口を入り、チケット売り場の方に向かうと、1階から5階までを貫く広い吹き抜け。その景色の変化に、早くも心が躍る。★

 上りと下りが交差する、長いエスカレーター。

上りと下りが交差する、長いエスカレーター。2階を見下ろすと、引き込まれそうな魅力を感じる。

      -そういうところが、従来の美術館とはまた違う印象を受けました。作品を展示する空間というよりも、タテ移動ならではの面白さ、空間そのものが感動を呼ぶ美術館です。

「使い勝手や人を誘導する手段として考えると、エレベーターの方がよいのです。でもそうすると、おそらくこの建物の面白さがなくなってしまうでしょう。だからここは、建築家の想いを尊重すべきと考えたわけです」

      -今度は仕事(取材)ではなく、個人としてゆっくりと来たいと思います。そしてエスカレーターにも、もっと乗ってみたいです!

「そのお気持ちは、とてもうれしいですね。今はSNSなどの情報があって、来なくても来たように思えますが、やはり来ていただきたい。そして作品の前に立っていただきたい。別に美術館側の意図や、作品の解説に従う必要はありません。まずは人それぞれの感じ方でいいのです」

      -ついつい私たち見る側は、「芸術作品」となると身構えてしまいがちになります…

「以前、準備室だったころに、どんな作品を見たいかアンケートをしました。『その作品が好きな理由は』という問いに、『その作家云々』『美術史上の位置づけが云々』と回答された方は2割もありませんでした。8割以上の方が、きわめて個人的な理由でした。
『学生時代、デートで彼女と一緒に見た』『去年亡くなった母と一緒に見た』などといった回答で、すごく個人的な理由でした。でも、それでいい。それが記憶となって体験となって、作品と自分の思い出が合体した感じになりますね。それでまた美術館に行きたくなり、さらに思い入れが強まる。美術館に行くということが、人生においてとても重要だと思っています」

      -そのような体験こそが、美術館に来る意味、価値なのでしょうか?

「美術に出会う、接するというのは、生活全体の体験と結びついているのですね。それが、その人の生活を豊かにしていることになると思います。もしかしたら、人生を変えることがあるかもしれないわけです。
作品を見るだけなら、画集を見ていてもいいのかもしれません。やはり足を運んで、エスカレーターに乗ったこと、感じたニオイや雰囲気、それらがその時に出会った作品と一緒に記憶となって、人生を豊かにするということですね。これこそが美術館が存在する理由、存在価値といえるでしょう」

美術館ができて、「中之島」というパズルのひとつのピースが埋まった。

      -館長が、一人の芸術愛好家として見た場合の、大阪中之島美術館の魅力は何でしょうか?

「難しいですね(笑) 大阪って美術館がまだまだ少ないので、その真ん中に美術館ができた、というのがやっぱりいいですね。その時の企画展で好き嫌いはあるかもしれないけど、『そこに美術館がある』というのが一番の魅力かな…」

      -展覧会ではなく施設としての大阪中之島美術館として、館長が一番見て欲しいところはありますか?

「5階から北側を見た風景、大きな窓というかガラスの壁というか、あの風景はなかなか見ることができない風景で、いいですよ。あとは館の前の芝生広場ですね。
近所の人も遊びに来てくださったり、子ども連れで来てくださったり、それはそれで直接、美術には関係ないかもしれないけど、この場所に親しんでもらえたらいいのかなと思います」

  館長おすすめの5階北側の大きな窓。

館長おすすめの5階北側の大きな窓。川の対岸にそびえ立つビル、その下をゆっくり流れる堂島川を眺めているだけでも、充実した時間が過ごせそうだ。

 「インターナショナル スカイ フェスティバル」で掲揚されていたアドバルーン。

取材時、開催されていた「インターナショナル スカイ フェスティバル」再現展示で掲揚されていたアドバルーン。映っていないが、全部で7つのバルーンが掲揚されていた。隣地で建設中のビルのクレーンまでもが、「作品」に見えてしまうのが、この美術館の魔力かもしれない。

      -もちろんあの吹き抜けの大空間も、おすすめですね。

「はい、2階までは無料でご利用いただけます。1階にはカフェなどもありますし、あの空間はぜひとも見に来ていただきたいですね」

      -「中之島」という地域については、どのようなイメージをお持ちでしょうか?

「30年前に大阪に来て、最初に勤務した場所は大阪市役所でした。市役所の中に『準備室』がありましたからね。中之島って大阪のど真ん中ですが、当時、淀屋橋の上から見ていて、『空が広いなぁ』と思った記憶があります。今はだいぶんビルが建ちましたが、それでも都会の真ん中というわりには広々、解放感がありますね」

      -最後に「中之島スタイル」をご覧になる方に、何かメッセージをお願いいたします。

「美術館ができて中之島はパズルでいうと、ひとつのピースが埋まったのかなと思っています。
美術館に来てくださると非常にうれしいですが、美術館の展覧会に入らなくても中之島に遊びにきて、その雰囲気を味わっていただけたら。
すごくいい感じの場所ですよ。美術館はもちろん、この周辺もとてもいい感じになっています。ぜひ、フラッと遊びに来てください」

2階エントランスに立つ菅谷館長。

2階エントランスに立つ菅谷館長。晴天だったこの日、前の芝生広場では多くの人が中之島の雰囲気を満喫していた。


大阪中之島美術館
住所 〒530-0005 大阪府大阪市北区中之島4-3-1
電話 06-6479-0550(代表)(10:00 – 17:30)
開館時間 10:00~17:00(入場は16:30まで)※展覧会により異なる
休館日 月曜日(月曜日が祝日の場合は翌平日)
アクセス 〇京阪中之島線渡辺橋駅 徒歩約5分
〇地下鉄四つ橋線肥後橋駅 徒歩約10分
URL https://nakka-art.jp