上方落語の舞台を歩く2

大阪が誇る文化のひとつ「上方落語」。中之島界隈にも上方落語の舞台になった場所がいくつもあります。前回は大阪天満宮から堂島まで歩きましたが、今回は逆方向、難波橋から北浜、そして天満橋方面に歩いてみたいと思います。
上方落語の舞台を歩く2 中之島
上方落語の舞台を歩く2 中之島

今回の散策は、前回「遊山船」でもご紹介した難波橋からスタート。江戸時代の難波橋は、天満橋、天神橋と合わせて浪花三大橋と呼ばれていました。反りのあった難波橋からの眺望は特に優れ、夕涼みの一等桟敷となったそうです。さて、この橋を舞台にした落語とは・・・。

「船弁慶」
友人に誘われて船遊びに出かけた喜六。女お房の松に頭が上がらない彼は「けんかの仲裁に呼ばれた」と嘘をついています。お松も難波橋に夕涼みへ出かけ、川に目をやると船の中で大騒ぎする亭主が。怒ったお松は船に乗り込み、夫婦げんか開始。喜六はお松を川に突き落としてしまいます。川は浅瀬でしたが、乱れ髪。お松は上手から竹が流れてきたのをつかむと、こう語ります。「♪そもそもわれは~桓武天皇九代の後胤(こういん)、平の知盛幽霊な~り~」…

「船弁慶」は、落語だけでなく、お能や歌舞伎の演目としても存在しますが、お松の歌は、お能『船弁慶』の登場人物と自分の今の状況をかけているのです。ちなみに、人の腰巾着になってタダ酒を飲む人を花街では“船弁慶”と呼んだそうですが、その意味では恐妻家の喜六も“船弁慶”でした。これが最後のオチにも使われます。

難波橋を後にして、北浜へ向かいます。江戸時代、裕福な商家が集まった船場エリアですが、その中でも鴻池家は群を抜く存在でした。そんな鴻池家の犬が主役の落語がこちら。

上方落語の舞台を歩く2 中之島

「鴻池の犬」
船場の商家の軒先に捨て犬3匹。その中の黒犬が大金持ちの鴻池善右衛門にもらわれました。広大な敷地と豪華な餌で育った黒犬は、やがて“鴻池の大将”として成長します。ある日、やせ細った犬がよその犬にいじめられ、鴻池の家に逃げてきます。それは生き別れた弟犬でした。兄犬はご主人からもらった鯛の浜焼きや鰻巻を弟にあたえます。「兄さん、おあがりやす」「遠慮せんでええ。わしゃこんなん食いあきてんねん。今晩あたり、ちょっと塩コブで茶漬けが食いたいと思うてるねん」…。

実はこのあとちょっとしたオチが待っているのですが、それまでのやりとりが、ほのぼのとした兄弟愛で、笑いながらもホロリとさせられます。落語家さんの親しみやすい語り口も素敵。現在の大阪美術倶楽部の一角に、旧鴻池本宅跡の碑があります。
上方落語の舞台を歩く2 中之島
さて、そのまま今橋通を東へ歩き、今橋へ。江戸時代の今橋通は大両替商が軒を連ね、金融の中心となりました。高速の下に東横堀川が流れています。
今橋は渡らず、南に少し歩くと今度は高麗橋が見えてきます。高麗橋筋には元禄時代から三井呉服店(三越百貨店の前身)や三井両替店をはじめ様々な業種の店が立ち並び、とても活気があったそうです。この辺りにまつわる落語をひとつ。


「百年目」
堅物と思われている番頭が旦那に内緒で花街遊びに興じています。ある日、屋形船をあしらえ、大勢のお供をつれて東横堀川から桜宮へ花見に出かけます。遊びに夢中になっていると旦那と出くわしました。番頭「長らくご無沙汰しています」。旦那は「なぜ長いこと会わんようなことを?」。そこで番頭が一言「顔見られてしもた。これが、百年目と思いまして」。

時代劇などで耳にする“ここで会ったが百年目”をふまえたサゲが効いていますね。番頭さんが屋形船を待たせたのが高麗橋詰。江戸時代、高麗橋は公儀橋(幕府が管理する橋)の中でも特に重要視された橋で、番頭さんたちはここから船に乗って宴会をしながら大川を上り桜宮まで行ったわけです。お花見といえば造幣局の通り抜けが有名ですが、昔は対岸の桜宮がお花見スポットでした。しかも船、とりわけ屋形船で乗りつけ、船で帰る、というのが粋だったようです。では番頭さん一行と同じルートをたどって、大川まで歩いてみましょうか。

上方落語の舞台を歩く2 中之島

東横堀川に並行した道を進み、今橋洋服店のビルを通り過ぎて、土佐堀通りに出ました。目の前の横断歩道を渡ると「ふれあいの岸辺」と書かれたプレートと階段を発見! 降りていくと、中之島公園や川を走る水上バスなどを見渡せる広場となっていました。ここを東に向かえば八軒家浜です。

天神橋まで歩いたら階段を上って横断歩道を渡れば、再び川沿いに遊歩道があります。江戸時代に京都と大坂を結ぶ水上交通路として栄えた大川。最後にご紹介する「三十石」(さんじっこく)は、京都から大川を下り、八軒家に向かう三十石船のお話です。


「三十石」
長旅の最後に喜六と清八は京から大坂へ。三十石の夜船に乗ろうと伏見・寺田屋浜にやってきます。船に乗り込むと、物売りのにぎやかな声が響き渡り、客同士もワイワイ騒いでいます。夜更け。いよいよ船が動き出し、船頭の歌う舟歌とともに、のどかな雰囲気の船は、八軒家へ向かいます――。

京・伏見から寺田屋の浜を経由して大坂・八軒家までの船の中のやりとりを描いた「三十石」。上方落語の旅ネタ「東の旅」の終盤部分にあたり、三十石船とは、米を三十石積めることに由来しています。京から大坂(下り)は6時間、川の流れに逆らう上りは倍の12時間。坂本龍馬も伏見から大坂ヘはこのルートで移動していたそうです。
上方落語の舞台を歩く2 中之島
八軒家の名は八軒の船宿や飛脚屋が軒を並べていたことからそう呼ばれました。当時の船着場跡は、土佐堀通り沿いにある永田屋昆布本店の前にあります。この近くにある高倉筋の階段を登りきると、かつて渡辺津と呼ばれる港がありました。渡辺津は紀州熊野本宮への参詣路である熊野街道の出発点として賑わったそうです。
江戸時代の人々の暮らしがイキイキと描かれた落語を味わいながら街を歩いていると、当時の人々は、現代人よりもずっと、川や橋と親しみ、利用し、ともに暮らしていることが伝わってきます。みなさんも、上方落語を通じて、古(いにしえ)の中之島に思いを馳せてみませんか?
→「上方落語の舞台を歩く」パート1はこちら

(※2010年10月に取材・掲載した記事です。)


参考図書
浪花なんでも地名ばなし/桂米乃助 著/コア企画出版
米朝ばなし 上方落語地図/桂米朝 著/毎日新聞社