
天神橋左上は三十石船の発着
左上は⼤川に⾯した⼋軒家浜船着場付近。江⼾時代には、船宿などが8軒並んでいたことから
「⼋軒家浜」と呼ばれるようになり、京(伏⾒)と⼤坂を結ぶ「三⼗⽯船」が到着、淀川⾈運の要衝として栄えた。
(大阪市立図書館所蔵)

(⼤阪)堂島及⼟佐堀の⼤流に浮ぶ中之島公園
中之島の剣先は、江⼾時代に備中成⽻藩の⼭崎主税助義厚の蔵屋敷があり「⼭崎の端」と呼ば
れた。元禄の頃には⼭崎の端は今の中央公会堂付近までであったが、埋め⽴てや⼟砂の推積で
中之島が形成、景勝地として広く知られるようになった。1885(明治18)年の洪⽔の後、付近の川
浚えが⾏なわれ、明治24年、初の市⽴公園に指定。
(大阪市立図書館所蔵)

大阪中の島公園に避難せる付近住民
1934年(昭和9年)に⾼知県室⼾岬付近に上陸した室⼾台⾵は、京阪神地⽅を中⼼に甚⼤
な被害をもたらした。写真は中之島公園に避難する住⺠の様⼦。当時の⼤阪市内には、はしけ船
に居住する、いわゆる水上生活者も一万人以上、高潮は一瞬にして彼らの生活基盤を奪った。
(大阪市立図書館所蔵)

商機最も敏感なる北浜街
⼟佐堀通から北浜(北浜1丁⽬)交差点を東から⻄に向けて⾒たもの。左奥には⼤阪市庁、そ
の横にはかすかに中之島図書館が⾒え、右奥には⼤阪控訴院その⼿前は中之島公園がみえる。
⼿前の市電の右側には現存する北浜レトロの建物がある。
(大阪府立中之島図書館所蔵)

大阪中之島中央公会堂
「北浜の風雲児」「義侠の相場師」ともいわれた株式仲買人・岩本栄之助がアメリカを視察の際、富豪達が慈善事業のために巨額の寄付をしていることに感銘をうけ、父親の遺産と私財を合わせた100万円(現在の貨幣価値でいえば数十億円)を中央公会堂建設のために大阪市に寄贈。しかし、第1次大戦後の相場の激動のため岩本は大損害を被り、完成を待たずして、1916(大正5)年、39歳でピストルにより自ら命を絶った。その後、中央公会堂は、1918(大正7)年に完成。
(大阪市立図書館所蔵)

(大阪)中之島に聳ゆる市庁舎の雄観
市役所庁舎は、1921(⼤正10)年に建設。塔屋を中央に配した造形が美しく、⾼層建築がほぼ
なかった建設当時はこの塔屋が市内でもっとも⾼い建物であった。昭和57年、解体反対運動が起
こったが、新庁舎建設のため取り壊された。
(大阪市立図書館所蔵)

堂島ダム
(大阪府立中之島図書館所蔵)

朝日新聞社
⼤朝(大阪朝日新聞社)は中之島渡辺橋畔にある明治⼗⼆年の創⽴。発⾏部数は⽇本⼀と称せられ内部の組織、
設備などもまた完備して世界的と言われ社員も千八百の多きに達している。[当時の写真解説よ
り]
(大阪市立図書館所蔵)

戦前の阪大病院と堂島、中之島
空から見た堂島、中之島界隈。堂島川を挟み左は大阪医科大学付属病院。 右は大阪医科大学[1931年(昭和6年)に大阪帝大医学部]。右後方は2009年(平成21年)に解体されたダイビル本館(大阪ビルヂング)。さらに後方では大阪朝日ビルが建設中[1931年(昭和6年)完成]。 堂島川にかかる橋は手前から玉江橋 、田蓑橋、渡辺橋、大江橋。 1930年撮影=大阪市北区堂島浜通[現'福島区福島]。
(株式会社朝日新聞社所蔵)

完成した大阪朝日ビル
1931年(昭和6年)、完成した大阪朝日ビル。左は時計塔がクラシックな朝日新聞大阪本社の旧社屋。右は朝日会館。四つ橋筋には大阪市電南北線の1501形電車が走る。手前は大阪中央郵便局。大阪朝日ビルは2013年(平成25年)に解体。
(株式会社朝日新聞社所蔵)

大阪朝日会館
映画「トコリの橋」「ヴェラクルス」の宣伝が掲げられている。大正時代に誕生。客席数1600。 当時、大阪最大の文化ホールだった。1966年(昭和31年)に閉館後、新朝日ビルディングに。この中にフェスティバルホールが入居。
(株式会社朝日新聞社所蔵)

大阪逓信局舎
同時に撮影された写真の背景にはリーガロイヤルホテル(当時の大阪ロイヤルホテル)が写り込んでおり、ホテル名称の変遷時期から1965年(昭 和40年)以降に撮影されたものと思われる。当敷地は大阪逓信局、日本電信電話公社、近畿電気通信局と時代を経て、1975年(昭和50年)に中之島 センタービルが建てられ今日に至っている。